諸々

最近は比較的早く家に帰れております。
まあ、家に着くと21時過ぎだったりはするんですが、一時期と比べたら随分と楽な感じ。



最近の日記を読んだ友人から「ほどほどにな…」と声をかけられました。
欝の人に「頑張れ」と言っちゃいけないってアレです。
実際その通りで、欝の人は無理に頑張ろうとして
ドツボにハマってエンドレス…ってことが多いのだと思います。
苦しくて苦しくて、頑張りたくても頑張れない。頑張っているのに、認められない。
頑張って頑張って、もがいてもがいてもがき苦しんでいるのに、
そんな相手に「頑張れ」なんて言うのは喜劇でしかありません。言われた方は悲劇です。
どんな欝関連の書籍にも「鬱病の人に頑張れとは絶対言ってはいけない」と書いてあります。
私なんかは欝関連の書籍を何冊読んだか分からないので、
「頑張って」って言われても「また来たか」くらいにしか思わないのですがw



ここしばらくの日記は「無理に頑張ろうとしてるんじゃないか」と映ったのか、
友人から少し心配されてしまったようで。



欝の症状は、脳内物質の変調が原因だと言われます。
きっかけは何にせよ、最終的には精神の影響で身体の中に異常をきたす。
欝の症状は、活力や人間らしさを司る前頭葉におけるセロトニンの減少が一因として挙げられます。
私が飲んでいる抗鬱剤トレドミンは、ノルアドレナリンセロトニンの量を増やし、
神経の働きをよくする効用があります。飲み始めてからも相変わらず波はありますが、
そのおかげか一時期持っていた自虐思考はほぼ消え去りました。
一時期冗談めかして「そろそろ京浜東北線自爆テロかなぁ」と言った覚えがありますが、
それを言ったときの自身の思考の2割くらいは本気だったのでタチが悪いw
そんなこと書くとまた心配されてしまいそうですが。
とりあえず、ここ見ている友人には「私が萌えを極めないまま死ぬと思うか?」と言っときましょうw


薬を飲むことで欝が改善するのは間違いありません。
ただ、それだけで治るかと言えばそうではない。
最終的には欝の原因となった根本を何とかしないといけない。
そして、思考を前向きにシフトさせていくことで、本当の完治へと至ります。


私の場合、薬を飲み始めて以降も思考が悪い方向にデフレスパイラル状態が続いておりました。
結局、あとは思考を何とか前向きにするしか次の一手はない状態だった。
私が行きつけの病院は心療内科(カウンセリング中心)というよりは、
投薬中心の精神科なので、医者に言っても話すことは実は世間話くらい。
「最近どうですか」「相変わらずです」「そうですか、ちゃんと眠れてますか?」
「最近は忙しくて。。。」とか毎度その程度です。
医者に行けば何とかなるなんてのは幻想で、特に精神的なものに関しては最終的には
自分自身が変化しなければ終わらない。医者も薬も結局はきっかけでしかない。
欝やその他の精神症状は脳内物質の変調が原因に挙げられる。
脳がすでに冒されているなら、そこから気持ちや思考を独力だけで何とかするなんて
難しい話なのです。私を含めた普通の人間にとっては不可能に近いかもしれない。
私も独力で何とかしようともがいた時期がかなり長期間にわたっています。
そしてエンドレスに堕ちてゆきました。



欝のときは、好きなことが楽しめない。
好きなことをやる気力も湧かないという状態が続きます。
私で言えば、アニメを観ることすら億劫で身動きが取れない時期がありました。
正直言えば今でもあります。
波があるのでどん底と言える時期はいくつか上げられますが、去年の7月ごろはそのひとつです。
7月9日と10日の日記は、ある意味その頂点(?)の時期です。
我ながら読み返すとその欝の状態と電波ぶりに戦慄が走ります。(ぇ



まあ、それはともかくとしまして。
欝が酷いときは、身体が重たくて本気で動かないときもあります。
想像つかないかもしれませんが、指一本を動かすのも億劫になるくらいに
身体が重たくなるときだって、冗談抜きであります。ここしばらくだってないわけじゃない。
でも、最近思うのです。


気持ちの持って行き方をちょっと覚えた、と。
そうなんですよね、精神の変調を最終的に何とかするのは、気持ちのシフトなんです。
その気持ちを上手くコントロールできないのは脳の変調のせい。
なら、それは病院行ってカウンセリングなり抗欝剤を貰って整えるしかない。
そこで医者行かずに無理したらドツボにハマってしまうだけ。


私は、ここしばらく何度も耳にタコが出来るくらいに繰り返して
らぶドルが大好きだ」「らぶドルを愛している」
らぶドルがあれば何でも乗り越えられる」と宣言しています。
後付の理由になるかもしれませんが、私がらぶドルを愛しく思う理由のひとつに、
きっかけを与えてくれたことがあります。


挿入歌「GO↑GO↑☆PARTY」の一節にだってあります


"何でもかんでも楽しんじゃえ♪"


そう、本当にそれだと思うのです。
最終的にそれが最大にして最後の鍵だと思うのです。
らぶドルを追いかけていく中で、イベントに足を運ぶ中で徐々にそれが分かってきたのです。
ライブを経験し、東京国際アニメフェアではらぶドルTシャツとはちまきで臨むに至り、
それはもはや確信に至りました。
多くの人には当たり前のことなのかもしれませんが、
私はいろいろなことの"楽しみ方を知らなかった"のです。
冷ややかに見つめる目がどこかにあった。どうしても越えられない一線があった。


らぶドルは作品自体も、実に真っ直ぐです。
奇を衒わない、実に王道、真っ直ぐで爽快感すらある。
第1話の冒頭のシーンで視聴をカットしてしまった方も多いと思いますが、
是非とも最後まで観て欲しい。出来れば、テレビ未放映の第13話まで。
1話から13話まで、私はすべてに雑感を書きました。
その中で思うのです。この作品は最初から最後までとても強いもので貫かれている。
揺らぐことのない、とてもとても強いもので貫かれている。私はそう思います。
むしろ、アニメ化以前の、ゲーム時代から貫かれていたと言っても差し支えないかもしれません。



話が脱線しました。戻します。
私は、長く鬱病を患っていましたが、そんな中で変化が起こりました。
「何でも楽しみゃいいんじゃね?」
そうなんですよ。
考え方ひとつで全部変わるんですよ。本当にそうなんですよ。
身体が重くて動かないなら「欝きたああああッ! 今日の欝は酷いぜッ!」とココロで笑えばいいんです。
勢いで無理矢理楽しんじゃってる"ことにすればいい"のです。
それを繰り返していくうちに、きっと変わっていけると思うのです。
苦しい時間はまだ多いと思いますが、何故か「らぶドル」を想うとそんな風に笑える気がするんです。



もちろん、本当に苦しくてどうにもならないときは、力を抜きます。
何も考えないようにして、ただ好きな音楽を…そうですね、らぶドルの曲を聴いて、
布団に寝転がりながらDVDでも観ればいいんです。
頑張らない、でも何でも楽しむ、らぶドルという作品があれば私にはそれが出来ると思うのです。




まあ、何だか支離滅裂かつ相変わらずのらぶドル礼賛ではありますが、
そろそろ日付も変わりそうなので更新しちゃいましょう。
件の友人がメッセで更新を催促しておりますし。(ぇ
いつもありがとうな。いつもいろんなときに助けられてるよ。


今晩は寝る前にもう一度更新する予定。
それではまた明日の日付で。
                                            (23:55)