行き場のない想いを抱えて

私もヲタクをやって長いですが、これほどの行き場のない憤りと哀しみを感じたのは久々です。
言葉に出来ないこの想い。理解されないこの哀しさ。



例の京都の父親殺しの事件。
悪循環が生まれています。よくありません。
短絡的に今の気持ちを表現するなら、"1500秒"ってくらいどろどろとした想いが
胸の中で巡り巡っておりますが、それこそ最低なことのわけで。
それは冷静な部分の私の本意ではありません。



何が問題だったのか?
表面上だけを取り出して、事件と作品との類似性を指摘し、指弾することに意味はあるのか?



ひぐらし」に登場する竜宮レナと言う少女には原作では斧(正確には鉈)を用いて
人を殺す場面があります。(斧という表現も前半で出てきていたかとは思いますが)
今回一部マスコミはそれを書きたて、類似性を指摘する声がネットにあると語っています。


外面だけを見れば確かにその通り。
今回の事件に関しても、確かに斧を使っている。


しかしそもそもの疑問がひとつ。
殺人を犯した少女は「ひぐらし」を知っていたのか?
仮に知らないのであれば、そもそもの記事が妄想の産物でしかないわけで。


では、仮に知っていたとした場合。
今回の事件は「ひぐらし」の影響と言えるのか?



犯行に至ったのは、父親への嫌悪感。
凶器は斧。
斧だからひぐらしの影響なのか。
それは短絡的過ぎます。思考停止以外の何物でもない。



あなたは殺したいと思うほど憎い相手がいたとき、その相手を殺しますか?
私はしません。どんなに憎くても、どこかで絶対に歯止めがかかる。
自分自身の良心、社会との折り合い、何かが必ず押し留めます。



凶器が斧だから今回の事件は異常なのか?
違います。そもそも人を殺すと言う時点で異常なのです。
凶器がカッターナイフでも、金属バットでも、縄で絞殺であっても、それは異常なのです。



年齢が16歳だから今回の事件は異常なのか?
違います。確かに未熟な年齢で起こした事件なのでショッキングではありますが、
どんな年齢であっても、それは異常なのです。



父親に対する深い憎しみ、怒り、嫌悪感。これが殺意と変わって起こったのが今回の事件です。
それは、「ひぐらし」があったから起こったのでしょうか?
父親に対する深い憎しみは、「ひぐらし」に触れたか触れていないかは関係なく存在したでしょう。
その土壌を作ったのは何でしょうか?
ひぐらし」があったから事件を起こした…というのがどれほどナンセンスなことか、
事件の背景を考えれば分かるはずです。


変な話ですが、今回の事件の凶器が、斧でなくて別のもの…
例えば、ロープで絞殺だったとした場合、ここまで「ひぐらし」がクローズアップされたでしょうか。
外面だけで何を判断できると言うのか。私にはさっぱり解らない。



取り留めなくなってしまいましたが、これだけは言いたい。
叩きやすいものをスケープゴートにするのは容易い。
理解できない対象を何かのせいにして、解った気になるのは容易い。
一部報道の悪意を感じますが、果たしてそれで何が生まれるというのか。



ひぐらしは誤解を受けていますが、そもそもの原作者の意図の中には
殺人という行為に対する絶対的な否定があります。
作中で問題解決の手段として殺人を行ったキャラは、必ず破滅を迎えます。
それを表現するためにこそ、衝撃的な場面も用意されています。
友人に、家族に、あるいは専門の機関に、とにかく相談する。
一人で悩むな、人に助けを求めろ、仲間を信じろ──
殺人の絶対的な否定とともに、人間性の肯定を行っている…とまで言うのは言いすぎでしょうか。
原作の第6話にあたる「罪滅し編」までを終わらせた人ならば、
決してひぐらしがただ猟奇的な物語でないことを知っている。
もっと肯定的な作品だと言うことを知っている。
だからこそ、私は「ひぐらしのなく頃に」と言う作品に惹かれています。



…話がそれました。



想うことはいろいろあります。語りたいこともいろいろあります。
ですが、当面は静観したいと思っています。
行き場のない憤りと悲しみはしばらく収まりそうもありませんが、
どうか、今のこの想い、届きますように。



また明晩なのです。
                                             (2:38)